当店の歴史

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​【父の想いを娘が紡ぐ餃子】

昭和20年4月22日生まれの父。家庭の事情で中学校卒業した後、料理人の世界に飛び込みました。
もちろんその時代は手も足もお玉も罵倒も当たり前に飛び交う時代。きっと大変だったであろうと思います。
今は亡き、仙台の名店「東園」で修業をし、若くして支店を任され他との事なので負けず嫌いでもあったのでしょう。
​娘の私にもしっかり負けず嫌いは引き継がれています。現在39歳の私が小学校2年生にあがった頃、少し違う仕事をしていたが
父が
​新たにお店をやり始める事になり、南光台という団地の中で「中国料理 鳳南」というお店をオープンさせました。
飲食店未経験の母も一緒に試行錯誤しながら鳳南は大繁盛店に成長した。出前の電話はひっきりなしに鳴り響き、小学生の私も学校から帰ると必ず仕事が用意されていました。土日は、もちろんお手伝い。特に嫌だと感じたことも特にありませんでした。

18年営業の後、仙台では有名な「電力ビル」の地下への店舗の話が来る。その時父60歳。
『中国料理 シノワズリー啓樹』は誕生しました。
企業様の接待や、御顔合せ、記念日の利用など少しだけ高級店の仲間入りをした当店。

13年営業し、父から私へ代替わりする際にもっと紹興酒のおいしさを知って欲しいとの想いから宮城の繁華街国分町へ店舗を移転し
『餃子と紹興酒お店 シノワズリー啓樹」として令和元年9月14日からスタートした。
やっと軌道に乗ってきた矢先に令和2年3月にコロナウイルスが広まり、翌令和3年1月にやむなく閉店。
ここまで一貫して「一切手抜きをせず頑なに自分の味を追求してきた」父のその想いを
今までは仙台の皆様へお愉しみいただきましたが、今後は県外の皆様にも味わっていただきたいという娘の想いから
この「宮城の旨いもん餃子本舗」は生まれました。名物になる餃子を作りたいと考え
父の得意な餃子と煮込み料理の王様、フカヒレ姿煮をドッキングさせた

「ふかヒレ姿似」は試行錯誤を繰り返し、まるでふかひれ姿煮を頬張っているような餃子に仕上がりました。
父の一切手抜きをしないこだわりを引き継ぎ『皮からすべててづくり、そして機械を使わず手包み』

カヒレの独特な臭みを野菜などと丁寧に蒸して取り除き
干し貝柱など高級食材を一緒にじっくり煮込み
しっかりと味をなじませるため一日寝かし
皮も粉から混ぜて、一枚一枚手作作業で作り上げ
​具材を均等に入るように配置して包みあげていく

なので、大変申し訳ないのですが1日に10セット作るのが精いっぱいの餃子です。

たくさん喧嘩もするし、意見も合わない所がたくさんある親子ですが想いは一つ。
『大変な時期だからこそ、美味しいものお口いっぱいに頬張って笑顔になって欲しい!!!』
父の生きてきた証を娘が繋ぐ餃子。これからも宮城の旨いもんで繋いでいきます。
​どうぞ、食べてみて下さいね。
​                                     宮城の旨いもん餃子本舗 齊藤智恵